スニーキング・ミッション(ダダ漏れていく)①

昨年体験した祖母の初盆とそこでの母の座布団の座り方から、固有名詞の理解と「演劇的真実」について考える連載。全5回予定。

一年前の母親の座り方をまだ覚えている。

2023年の8月だった。祖母が死んでから初めてのお盆で初盆と言うらしいと知った。わたしたちは喪服を着た。暑かったのでわたしはワイシャツの袖をまくり、念のため持ってきたジャケットは旧家のリビングのソファにかけたままにした。出かける際靴下を履き替えた。無地で長い靴下が何本かある中から黒だと思って履いたものを姿見越しに見るとやや紺色紺色がかっていることに気づき、念のため母親に聞いてみると履き替えた方がいいということだった。母と二人で旧家まで歩いていると軽自動車がわたしたちの後ろから現れ、わたしたちの旧家に乗り付けた。運転席に見覚えのある坊主の顔が見えたのでわたしは聞いていた時間よりも早く坊主が来たことを焦りながら母に伝えた。母は信じず自動車のうち─自動車の整備会社をやっている親戚のこと─ではないかと言ったが、見ていた車から坊主が降りてきた。あまりにも坊主らしい坊主だと初めて会った時に思った。初めてこの坊主に会ったのは祖母の葬式の時だった。わたしたちは慌ただしく準備をした。

坊主が目を瞑りながらダラダラと話をし始めて、それが何を言っているのかわからなかったが、目を開いて左手を宙に上げて壁の辺りを指し示したところで、さっきから光っている青色の照明について振れながら盆の習俗について教えを説いていたのだとわかった。青い照明は3箇所ほどあり、前日に葬儀屋が来て設置していったという。さまざまな箇所でホッチキスを使用していてそのことを隠そうとも思わない施工の態度からこの葬儀屋がロードサイトにあったことを思い出した。坊主が祖母の遺影に対面し数珠を取り出した。祖母のことを考えた。祖母が最後の旅行で行った時に披露した、近所の家の飼い猫が自分の懐に入ってきたのでデコピンして追い払ったという話についてだった。あまりにも意外で驚いた。
母親が座っていた。手前に父がいて母の奥に自動車のうちがいたように覚えている。一番最後に座ったので机に沿った座布団の円からはみ出したところに座布団を置いて座った。俯いていた。前髪が額にかかって目元はよく見えなかったが、なんとなく目を瞑っているように見えた。背中は丸まり正座をして両手を太もものあたりに揃えていた。微動だにしなかった。動きというものが全くそこに存在しなかった。静かにしているということなのだろうが、静かにしていようとするという動きすらなかった。わたしは静かに驚いた。初めて母親のことを見た。

この体験はどんな謎としてわたしに現れてきたのか、この体験からわたしはどのように問うべきだろうか。母の座り方は、未だわたしにとっては問いや謎以前のものとしてある。何度も繰り返し人に伝え段々とエピソードになりつつある中で、二つの動きが出てきた。一つ。母を何度も繰り返し見たり経験してきたにも関わらず、しかし今初めて見たという経験として理解しつつある。もう一つ。母がその時わたしに向かって今まで言わなかったことを言った、しかしそこで母は何をわたしに言ったかという謎としてわたしを誘惑しつつある。解きほぐしていくべきはこれら経験の了解のさせ方についてだろう。

何度も繰り返し見たり経験してきたにも関わらず、しかし今初めて見たという経験というのはおそらく一般的に存在する。良い映画の感想の常套句として、見た後で映画館を出ると「世界を初めて見た」などと人は言う。ここで強調されているのは、今まさにわたしは対象のことを理解したということだろう。気付いたり理解したりする感覚だ。では何を?対象を、個別具体的な対象を。例えば固有名詞である。

上演を見たことのない戯曲を読む時の困難のひとつに、それぞれのセリフのみから登場人物がどのような存在であるかを把握することがある。別の登場人物に対する反応や、観客に対する態度など複数の具体的な身振りから、その人がどのような人なのかを判断する。ところで固有名詞は確定記述の束に還元できないとする議論がある。確定記述とはある固有名詞に紐づいた属性や身振りのことで、ざっくり言えば主語に対する述語のこと。「夏目漱石は小説家である」「夏目漱石は日本人である」「夏目漱石は夏目金之助である」と並べていけば、その記述全体が夏目漱石という固有名詞と一致するはずだという目論見はしかしうまくいかない。うまくいかないにも関わらず、複数の確定記述から固有名詞を把握するということは経験的にできてしまう。この議論からこのようなことが言える。近代的で分析的な思考では、確定記述には還元されえないがしかし常に確定記述によってでしか指示されない固有名詞が経験的に理解されるということは説明できない。わたしたちは、固有名詞のことを全く説明できないにも関わらず固有名詞を理解することが可能である。そして先述した「母を初めて見た」という経験も、世界という名詞を近代的で分析的でない仕方で理解したことの謂れとして一般的に存在する。ではわたしは母をどのように理解したのか。それは分析的にいうことが困難な理解である。迂回してみよう。

例えば劇作家の岸井大輔は、この固有名詞をめぐる謎を扱ってきたのが演劇であり戯曲であると言えるような主張をおこなっている。

「ソクラテスも、孔子も、釈迦も、相手に合わせて比喩を使ってしゃべっている。僕はそれを「演劇的真実」って言っています。もっといい言い方あるんでしょうけど。論理的に正しいとか、正義とかじゃなくて、話されることで納得されてしまう真実。『人形の家』とか『アンティゴネー』のクライマックスがその例ですね。筋が通っていないことを客の前で話して、それで客がなぜか納得する状態。」(*注1)

戯曲が散文と決定的に異なるのは、「あの人がこの人に向かってこう言った」という形式でしか示さないことである。それがなぜ必要なのかといえば、そうでないと示すことのできない主張や真実があるからだということになる。先ほどの固有名詞と確定記述という関係を、物語と教訓という関係に置き換えても良い。物語と教訓はどんなに寓話めいていても絶対に一対一対応をしない。しかし物語を理解するということは経験的に可能である。岸井によれば演劇は、ソクラテスや孔子や釈迦の言っていることやその人自身を理解するために始まった。ソクラテスや孔子や釈迦は分析的で論理的な正しさとして、あるいは正義として主張したわけではないので、そのようには理解することができない。であるならばソクラテスや孔子や釈迦がその時誰に向かってどのようにいうかを重視した彼らに倣って、その時に誰に向かってどのように言ったかということを反復することで理解に向かおうとする。ここで重要なのはこれらのやり方が全て、固有性を理解することに関わっていることだ。ある人が生まれて、生きて、そして死ぬということがある。私たちが皆別の名を名乗り別の体を持ち別様に暮らしているということがある。それは経験的に了解されているが、その内実は謎に包まれている。岸井の言う「演劇的真実」は人がそれぞれ固有に存在しているということと強くつながっている。

「演劇的真実」としての一回限りの生や一回限りの行為を理解するために戯曲の形式で反復する。

「演技は英語でアクションで、リプレゼンテーションと対立するという考えもある。良い演技はアクションでリプレゼンテーションではない。今ここでやってる演技が戯曲の再現かどうかよりも、今ここで起きているかどうかの方が、良い演技にとって重要ということですね。端的にいうと、くさいとかわざとらしいとかがよくないっていう話。(中略)再現するべき台詞などがありながら、一回性をしてくれという矛盾を孕むわけ。演劇は、この一回性、つまり、今生成された演技の良さとあらかじめ計画された戯曲による演技の良さという矛盾によって成立する。で、その矛盾を成り立たせるために戯曲はある。」(*注2)

整理しよう。演劇や上演の文脈で演技や戯曲と言われていたがここでは広く取る。母と私は母と子という役を演じ、日々上演している。以上の議論を踏まえると、母とのやりとりを反復していく中でわたしがあるとき母を初めて見たと感じたということは、まず母が固有の存在であることをわたしが強く理解したということだと言える。同時に母が、わたしとの関係の中で何度もわざとらしかったりくさかったり下手な演技をしていく中で、その時には一回きりのアクションをすることができた、そしてわたしはそのアクションに立ち会ったことだとも言える。そしてその根拠は、やはりわたしが昨年の夏に「初めて母のことを見た」と感じたその経験に求められる。

「母が固有の存在であることをわたしが強く理解した」と書いて素朴に親離れや成熟、自立といったタームとそれに付随したムードが漂い始めた。そうなのかもしれない。わたしはもう母親の手から離れる術を知っている。「これ終わってどう思った」と強い口調で問われたのは小学4年生ごろで、長い間放置していた習字の筆を洗面台で洗い終わった時のことだ。わたしは何を言えばいいのかわからず口籠った。夕方か、洗面台の電気がついていたので夜になっていたのかもしれない。正解があるのだと瞬時にわかった。やらずに放っておいた習字の筆をやっと洗い終えた時に、母はわたしにどのように思って欲しいのかをわたしが今理解しそれを言えば、この状況を終えることができる。同時に、最後にそのような問いをわざわざわたしに突きつけてきて、母の中にしか存在しない正解をわたしに言わせようとしている母を、わたしは意地きたないと思った。わたしは「洗えてよかった」と言った。母はそうじゃなくてといううんざりしたニュアンスをこめながら「ホッとしたでしょ」と言った。わたしは、それが正解だったのかと思った。端的に「洗えてよかった」ではなく「ホッとした」と思えば良いのだと思った。当時のわたしは単に母が思っていたことを当てられるかどうかのゲームでしかないと苛立っていたが、母の問いかけの意味が今でははっきりわかる。母を理解するとは母の心中を理解し、その機微を察知できるようになること、ひいては母とわたしとの間にある溝が透明になることだと考えていたが、そうではない。母とわたしは当時も不透明であったし昨年の母の座り方もわからないままだ。しかし「演劇的真実」は関係が透明か不透明かという二項対立とは全く関係がない。当時そこまでしてわたしに「ホッと」してほしかった母親の執念を今のわたしは愛情だと受け取ることができる。

*注
(注1)岸井大輔「トーク記録 「戯曲は作品なのか」」『戯曲は作品である』(2016)473頁
(注2)岸井大輔「トーク記録 「戯曲は作品なのか」」『戯曲は作品である』(2016)468頁