昨年体験した祖母の初盆とそこでの母の座布団の座り方から、固有名詞の理解と「演劇的真実」について考える連載。全5回予定。
愛知県芸術劇場が主催したワークショップに参加して、短編の戯曲を書いた。そしてそれがまた別の舞台演出にフォーカスしたワークショップで使われ、わたしの書いた戯曲の5つの上演が行われたという。後日映像が送られてきて、1分のものから30分近くかかっているものもあった。わたしの書いた戯曲がわたしでない人によって上演されることがまず初めてだったし、それが5つもあるということでわたしは相当に面食らった。劇作家として喜ばしいことであると同時に、困ってしまった。わたしはこれはみて何を思えばよいのだろうか。おそらくわたしはさみしかった。
戯曲を書くということは、それが上演されている場所からいなくなることができることだ。ある役割から離れ、ある人と人、ある人と状況、そう言った個別具体的な運動から離れていく。わたしがいなくても、戯曲が集団を組織し、維持し、そして終わらせる。ある劇作家が、やり始めたプロジェクトの立ち上げだけに関わってすぐやめることになったのはなぜかといえば、それは私が劇作家だからだと言っていて、まず率直に正しいと思った。劇作家の関心は戯曲であって、それがうまくいくように手を回したり、人間関係を調節したりすることではない。むしろそういったことの煩わしさから逃れるために、あるいはそういったことの煩わしさから逃れているからこそ立ち回ることのできる領域があり、そこでのパフォーマンスに賭けるために、劇作家は上演からいなくなる。上演や生活や世界やあらゆる現実から、まったくの無関係になるやり方として、作家というものがある。
本当だろうか。それで本当によいのだろうか。
母が嫁いできた時に、実家で繰り広げられる毎晩の宴会とそれの準備に追われる祖母を見て「ぎょっとした」と話していた。亡くなる前の家族旅行でふと祖母が、昔はうち警察とかとツーツーだったでしょうと言い、実家に警察官が集まって祖父を中心に飲み散らかしていたとあまりにも軽く言うので驚いた。祖母や、嫁いできた母はこの宴会に毎晩つきっきりだったようで、二人の席がつくられることもなかったという。イリイチの「シャドウ・ワーク」などを参照するまでもなく、祖母や母がそこにいながらいないものとされていたそのさみしさを私はイメージできる。わたしのいない場所でわたしの戯曲が上演されていることのさみしさはと似ていなくもない。
祖母や母のさみしさを、演出家の孤独として区別することもできるだろう。宴会という上演を成立させるために明確に働きかけるにもかかわらず、その仕事や手つきが明確な形で表現されたりある個人の成果として紐付きはしないさまざまな動きだ。しかし現在において戯曲を書くということと演出をすることとは明確に区別されえないがゆえに、あるさみしさを共有しうると私は考えている。例えば先述した愛知県芸術劇場のワークショップでは、「インターカルチュラル」をキーワードに、ある一つの文化圏として自立しているように見える場所にさまざまな綻びを見つけることによって、それが必ずしも一枚岩ではないということを指摘するという発想を前提にしていた。テキストの読解によってさまざまな綻びを見つけるということにおいて劇作と演出は限りなく一致する。言い換えれば劇作と演出は、私たちは一枚岩ではないと宣言するところから、その孤独から行動を開始する。
明確にその場所に関わっているにもかかわらず、そこにはいないものとされ無関係な存在であるとされることのさみしさを、ホストのさみしさと呼ぼう。確かにわたしが自分を劇作家と名乗ることでやりたいことは、一枚岩に安心して楽しくワイワイやることではない。母や祖母もまた、祖父や警官たちと混ざって酒を酌み交わすことを望んでいたわけではあるまい。上演の記録映像を見ていた時の自室は確かにわたしの居場所であったし、客間と台所を行き来するその経路が母と祖母の居場所たり得ていたとも思う。わたしはその場所を望んでいるが、同時にさみしいとも思い、そしてそこからすらもいなくなりたいとも思う。
作家とはもはや特権的な外部に安全に居座ることのできる存在ではない。ある場所からいなくなりたいと同時に、いなくなったということにも満足できない。金井美恵子はカフカの手紙を引用する。カフカは好意を抱いている女性に宛てた手紙の中で、自分の肘かけ椅子に座りながらあなたがわたしの部屋のドアを開けて入ってくることを自然に想像すると書く。手紙なのだからカフカと意中の女性は、今そこに共にはいないことが前提になる。しかしカフカは手紙を書いている今まさに、あなたが部屋に入ってくるということを思う。金井はこの矛盾した欲望が作家に固有の情熱の基礎であるといい、最終的にはこの欲望は死に至るような悲劇的な構造を持ち、それでいて成就されることがないと言う。カフカ『断食芸人』は、断食を続けているということを常に疑う観客を前に断食を続け、そして餓死してしまう。自分が何も食べていないことは自分が今まさにこのような姿でここにいることで十分に現れているし、それ以外の仕方で説明することが不可能なことだ。観客は芸人が食べないでいるのを常に見ていることはできない。
金井美恵子はなぜ作家としていなくなることを死や悲劇と結びつけずにはいられないのだろうか。金井はわたしがホストのさみしさと呼ぶ欲望を不遜と呼び、例えば深沢七郎『絢爛の椅子』の主人公である敬夫のような子供のものに割り振る。また「黄金の街」で、母が家を出て行った後兄妹が寝室で菓子を貪りながら寝るだけの暮らしを続けた描写には、金井が坂口安吾を引いて「私は近頃、誰しも人は少年から大人になる一期間、大人よりも老成する時があるのではないかと考へるやうになつた」というような、少年や子供への傾倒が感じられる。つまりホストのさみしさは、真っ当ではないと金井は考えている。しかしわたしはそれを疑っている。
例えばアーティストの慈は、夫との突然の離婚ののち、コロナ禍での体調不良ののち「むすめ」と離れて暮らす時期を以下のように書いている。
「先日、微熱が下がらず、むすめを実家に任せて4日間ほど別宅で一人で過ごした。結果的にただの風邪だったようだけど、このご時世で神経質になっていた。別宅は実家から徒歩5分程度の小さな一軒家だ。感染症の流行で出入りがないので最近は個人的に利用しているが、2月までは貸しスペースとして賑わっていた。暇を持て余すのでPCを持ち込むと、実家でむすめと同じ部屋では身が入らなかったようないくつかの雑務が次々と片付く。むすめから寂しそうに電話が来ると忍びなかったけど、感染症だったらうつるといけないからという大義名分は私を思いの外に解放してくれた。子供を産んでからほぼ初めて、時間に追われず、静かに自分のためだけに、なんの後ろめたさもなく過ごした。
私がいなくてもむすめは育つのだ。そこで初めて一年前の彼の気持ちも理解した。無責任な望みであることは承知で言葉にするけれど、ごく自然に、もう親をやりたくないと思った。一人の人間になりたい。苦しい、このまま一人でいたい、少しくらい寂しくても。時間の全てを自分に、望む仕事とライフスタイルに、投資できたらどれだけ良いだろう。思う存分社会に試されて、力を付けて、働いて、知識を得て、認められて、必要とされて、仲間を得て、もっともっと自信を持ちたい。余裕なく家族を持ってその中で役割を担うより、自分の出来ることをする。離れた場所からむすめを支えることだって無理じゃないはずだ。」
わたしは、慈のこの願望を不遜で子供じみた考えだとは全く考えない。極めて正当だとすらおもう。そしてわたしは同時に昨年の盆の母を思い出す。あれは、あの座り方は、母がいなくなっていたのだ。わたしの前から母がいたりいなくなったりする、その不安と安心の行き来そのものから、母はいなくなっていた。母が今わたしの前にいること、逆に母が今わたしの前にいないこと、そのことがわたしに不安も安心も与えず、単に母が座っている。そしてそれを見ているわたしもまた母からいなくなっていた。わたしはここにある一致を感じないではいられない。
金井は、今ここにある現実を否定するために、わたしが一人の人間としてあり続けるために、特殊な回路をつくらねばならないと言った。遠くの密室にある豪華絢爛な椅子から手紙を書き、送るという方法がもはや不可能な現在において。この情熱をわたしも共有する。しかしその情熱を不遜と呼び、少年や子供に割り振るような自嘲と皮肉のパフォーマンスは、もう必要ないのではないだろうか。というより、少年と大人や不遜と真っ当という対立軸が脱構築されごちゃごちゃにひしめき合っている現在では、そのパフォーマンスは何の効果も期待できない。わたしが感動しているのは、悲劇的な意匠が全く剥ぎ取られた、極めて日常的でささやかな時間の中で、わたしと母が、親子をやめはじめていることに気づいたからだ。先述したワークショップの中で荘子itが楽曲を制作するときのことを、「(他のメンバーのために)人肌脱ぐ」と表現していた。作家の孤独が死と結びついているのであれば、ホストのさみしさは信頼に結びつく。